20 学生最後の一年
学園に戻った私たちは、最後の一年を目いっぱい楽しむと誓い合いました。
それはエヴァン様に言われた一言が大きかったと思います。
「長い人生の中で、勉強だけしていれば良いという学生時代はとても短くて貴重だ。何事にも全力で取り組んで、後悔の無い一年にしなさい」
基本授業はララと一緒ですが、専攻科目は分かれていたので、寮に帰ってからその日にあったことなどを報告し合う日々が続いています。
ララの選択した経理科目と家政科目は、既に婚約者のいる女生徒が多いようで、結婚後の社交にも役立ちそうだと言っていました。
私の選択した教育課程は圧倒的に男子生徒が多いです。
高位貴族の長男はさすがにいませんが、みんな卒業後は何かしらの爵位を継ぐ予定がある人ばかりです。
エヴァン様は男子学生が多いことを少し心配されましたが、学ぶことが多すぎる授業内容についていくのがやっとの状態で、色恋沙汰など起きようもないほど忙しいです。
前期の試験が終わり長期休暇が始まると、例によって私はララと一緒にドイル伯爵家にお世話になりました。
以前はララの友人という立場でしたが、今回からはそれに加えてエヴァン様の婚約者扱いとなり、リリアナ夫人に連れられて何度かお茶会にも出席する予定です。
「母上、ロゼはまだ学生ですからね?あまりいろいろ連れまわさないでくださいよ」
ちょくちょく帰ってくるようになったエヴァン様が、リリアナ夫人に少しだけ苦言を呈しました。
「あら?焼きもちかしら?まあ良いじゃない。牽制よ、牽制」
そう言ってコロコロと笑っておられるリリアナ夫人は、エヴァン様を言葉だけでねじ伏せられる唯一の人です。
「そうそう、ロゼちゃん。できれば私のことをお義母様って呼んでね」
「は、はい。善処します」
ララは笑っていますが、私としては少々深刻な悩みです。
「ロゼのところに行きたい」
ジョアンは毎日私に強請ってきます。
私のところとジョアンが言っているのは、ワンド地質調査研究所のことです。
前回帰郷した時のお土産は大成功だったようで、ジョアンはあのサンプルケースを抱いて寝るほどです。
屋敷の庭のあらゆるところを掘り返し、基本の十二種のどれに当てはまるかを検証しているようで、今のところ二種類の土をみつけているそうです。
そのことをベック副所長に手紙で知らせたところ、早く連れてこいとの催促の返事がありました。
その件はドイル伯爵にもリリアナ夫人にも伝えてはいますが、なかなか時間が取れ無いというのが現状です。
私は毎日ほとんどの時間をララと一緒にジョアンと過ごします。
ジョアンは私たちの勉強を邪魔することもなく、私の部屋の床で図鑑を眺めているか、土のサンプルケースをじっと観察しています。
「ねえ、ジョアン?毎日見ていて飽きないの?」
ララがジョアンに聞きました。
「飽きない」
「変化があるの?」
「ある」
「へぇ~、例えば?」
「ララには無理」
「ロゼには?」
「ロゼにも無理」
この会話は日課のように繰り返しています。
治療教育という目標を立てましたが、ずっとジョアンを見ていた私は、少し方向を修正しようかと思い始めています。
それは治療という言葉は的確ではないと気づいたからです。
ジョアンは持って生まれた能力のほとんどを興味のあることに捧げているだけで、何かが欠落しているわけではないのですから、治療する必要は無いと思うのです。
興味が無いことを徹底的に排除しているわけではなく、不要と分類しているだけで、ちゃんと食事の時間は守れますし、もう寝る時間だと言えばベッドに行きます。
確かに社交的ではありませんが、それを矯正する必要は無いと考えれば、何も問題は無いのです。
ジョアンは鋭い感性を持っています。
人を気遣う心も人一倍持っているのです。
なのに私たちと同じ貴族学園に行くことはできないでしょう。
どうすればもっとジョアンの毎日を豊かにできるのでしょうか…と考えた私は、エヴァン様に相談しました。
「エヴァン様はジョアンを貴族学園に行かせたいと思われますか?」
「いや、私は無理に行かせる必要は無いと思っているよ。わざわざ嫌な思いをすることはないさ」
「そうですよね。でも私はもっとジョアンの興味の窓を開いてあげたいと思うのです」
「興味の窓?」
「はい、もう少し世界が広がっても良いかなって思うんです」
「なるほど。そう言えば以前にも話したけど、私の先輩がロゼと同じことを言ったんだ。もちろん彼はジョアンのことも良く知っているのだけれど、このままではジョアンの才能が開花しきれないというんだ」
「そうです。私もそう思うのです。ジョアンはジョアンのままで、もっとジョアンになってほしいって言うか?あれ?変なこと言ってます?」
「いや、良く分かる。一度会ってみるかい?そのうちに紹介するなんて言ったのに遅くなっちゃったけど」
「ぜひお願いします」
「では今週末の休暇の時にでも会えるように連絡してみるよ」
「忙しいのにすみません」
「愛する婚約者のためなら何でもするさ」
相変わらずなエヴァン様です。
「それと、ジョアンをロゼの研究所に連れて行く件だけど、今年は無理そうだな。皇太子の婚約者候補が出そろってきたから、いろいろと忙しくなってくるんだ」
「まあ、皇太子殿下って婚約者がいなかったのですか?もっと幼いころから決まって居るのだと思っていました」
「ああ、あいつは早熟な奴だったから恋愛結婚に小さい頃から憧れていたんだ。弟のルーカスは政略結婚を受け入れたんだけど、カーティスは絶対拒否だもん。双子なのに全然性格が違うんだよね」
「ルーカス殿下はワイドル国の王配ですものね」
「うん。かなり仲の良い夫婦だよ。まあ女王陛下がものすごく大人だから成り立っているのかもしれないけど。ああ、ジョアン。そろそろ自分の部屋に帰りなさい。ララもね。お兄様の恋路を邪魔すると怖い夢を見るよ?」
「エヴァン、ロゼが好き?」
「うん大好きだ」
「僕もロゼ好き」
「そうか、一緒だね」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみジョアン」
ララとジョアンはそれぞれの部屋に帰っていきました。
エヴァン様と二人きりってとんでもなく緊張します。
「私は毎日は帰ってこられないし、帰ってきてもあいつらがロゼから離れないし。あいつらだけなら追い払うこともできるけど、最近では母上まで参戦してきたからなぁ。なかなかロゼを独占できない」
「独占って!」
「だめ?」
「っつ!エヴァン様その顔は少々…」
「少々なに?」
「刺激が強いというか」
「よかった!ちゃんと意識してくれているんだ」
「当たり前じゃないですか!心臓がもちません!」
「じゃあ今夜はこのくらいで許してあげようか」
そう言うとエヴァン様は私のおでこにチュッとキスをして立ち上がりました。
「おやすみ、ロゼ」
「おやすみなさい、エヴァン様」
エヴァン様が帰宅されるたびに繰り返されるこの行為に、いつか私は慣れるのでしょうか。