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(ちょっと待って、これ、本当に解かせる気ある?!)
内心でパニックを起こす私の手元の用紙は、白紙。
文字通り、白紙。印刷も何もされていない、真っ白の紙。
(もしかして、ミス……?)
印刷ミスであれば、変えてもらうしかない。
私はそっと手を挙げる。しかし。
「質問は受け付けない。各自、各々で考え解くように」
取り付く島もなかった。
(どうしよう)
悩んだ私は、意味もなく紙を浮かせる。
すると、紙の端で何かが浮かび上がったような気がした。
(ん?)
もう一度、浮かせてみる。
すると、今度はうっすらと、その場所に文字が浮かんでいることに気が付いた。
(なんで? 浮かすことが条件? ……光?)
持ち上げて、蛍光灯に透かし見る。
私の行動に飯沼さんは何も言わない。つまり、この行動はしても問題ないと解釈し、紙に浮かび上がってきた文字を見る。
(えっと、読める。集団で行動することが多く、その姿を見せずに攻撃を仕掛けてくる水生の魔物、サイレントテトラを可視化するには何を行えばいいか……。これ、講義でやってないよ?!)
蛍光灯に透かすことで浮かび上がった文字は問題文のようだった。
どうしてこんな仕掛けにしているかは分からない。
けれど、浮かび上がったたった一問の問題は、そもそも講義で教えられていないもの。
再び頭の中でパニックを起こす。回る言葉はどうしよう、そればかり。
(あ、待って。そういえば話には出ていなかったけど、教科書の中の低階層に住む魔物一覧に、サイレントテトラはあったはず)
そのサイレントテトラは、しっかりと写真に写っていた。
牙の鋭い、ネオンテトラのような魔物。
あれが写っていた写真に、何か特別な所はなかっただろうか。
(……んん、だめだ、思い出せない!)
「残り時間、あと五分」
飯沼さんの時間を刻む言葉は急かす言葉に聞こえ、私を焦らせる。
(……もし、ここでゼロ点だったとしても……。他でいい点を取れば合格できる……?)
そんな考えが、ふと浮かぶ。
何かを書かなきゃ、と思うほどに筆は進まない。
(うんと近付いたら、何かが分かるなんてこともないだろうし)
机に突っ伏す。
これ以上、何かに抗おうとする気も起きない。
そんなあきらめの境地で、紙の上に突っ伏した私の鼻腔を擽るのは、魚の生臭いにおい。
(生臭っ)
においに驚き、慌てて離れる。
そこで、ふと。
(なんでこの紙、こんなに魚臭いんだろう)
魚臭いインクなんてあっただろうか。
百歩譲って、これがあぶり出しのインクだったとしても、あぶり出しはみかんを使うと聞いたことがある。
それは柑橘類の匂い。魚のにおいがするはずがない。
(もし。もしもだけれど)
この試験の意図が、単純に講義で習ったものを丸暗記して解かせる。そんなものではないとしたら。
飯沼さんの態度が、ダンジョンに入った時の探索者としての態度だとしたら。
(魚のにおいのインクは、蛍光灯に透かして文字が浮かんだ)
私はぱっと見、真っ白に見える紙に書き込んだ。
『蛍光灯の光を当てる』と。
「……時間だ。各自ペンを置け。回収に向かう」
あちこちから響くのは、机の上にペンが転がる音。
それから、気の抜けたようなため息の数々。
飯沼さんの足音が響く中、そういえば他の人の問題はどんなものだったのだろう。と、ふと気になった。
「十番」
「……あ、はい! すいません」
影が差す。飯沼さんが私の回答を回収しに来た。
用紙を渡すと、彼はぴくりとも表情を動かさず、手元の紙に何事かを記入する。
それが終わると、すぐに後ろにいる陽夏の席に向かっていった。
(ぼーっとしてた)
ちょっぴり心臓がドキドキ鳴っている。
やがてすべての回答を回収し終えた飯沼さんは、全員を見渡すように首を動かしている。
「この中の誰が生きて誰が死ぬかはまだ分からない。だが、常に危機感を持って注意深く行動すること。今回のテストのように、よく観察をし、機転を働かせること。その行動がキミたちの延命につながるだろうことを信じている」
次の野営実習は中庭だ。遅れないように。
そう言って彼は部屋を後にする。
私は、彼が言ったことが、とても強く印象に残った。