三章の九 車内で、プロポーズ。
一華は、自宅近くの公園に呼び出された。前回の電話で、大事な話があると前置きされており、何の話なのかと不安を抱えながらの待ち合わせとなっていた。
今回も、誰が見ているわけでもないのに、一華は他人目を忍んで後部座席に飛び乗る。
「あのさあ。電話でも言ったように、今日は伝えるネタなんて、ないよ」
会う間隔が短すぎたし、そんなに毎回「蔦文花」の新鮮な情報なんて、用意できっこない。
「いやあ、今日はいいんだよ。車を見に行こうと思ってさ」
公季からは、ウキウキした気分をひしひしと感じる。
「どうしたの? 悪いお金でも入ったの?」
一華は、心の底から心配した。
「なんだよ。いっちゃんが、車を買えって言ったんじゃないかよ……」
公季は、穏やかに拗ねて見せる。
「そうかそうか、ごめんごめん」
一華は素直に謝った。
「俺、車に詳しくないからさ。いっちゃんの好きな車でいいかなって思ってさ」
公季の、ウキウキした気分が復活する。
「大事な話って、それだったんだ……」
ほっとしたような、寂しいような、どっちつかずの感情が入り混じった。
「実は、車だけじゃないんだけどさ。まあ、後でね」
公季は、何やら含みを持たせた。
「それよりも、仕事は、うまくいっているの?」
近頃、「蔦文花」の情報は、機械的に調査書として渡していた。しかし、仕事の進み具合などは、一切、関知していない。であるから、
「久々で、元気だった?」 程度の意味合いで聞いていた。
「いっちゃんのおかげで、調子がいいんだ。今、アルバム制作にも取り組んでいてさ」
なるほど。だから機嫌がいいのかと、一華は納得した。公季の機嫌がいいと、一華も気が休まる。
「さっきは、ネタがないって言ったけど、いくつか絞り出してきたんだよね」
忙しい公季が来るとあって、何がなんでもの気持ちだった。本当に些細な、一つ、二つ程度のネタではあった。
「へえ。何々?」
思えば、高校生のときも、こうやって遊んでいた。変に劣等感を持っていた同士で、様々な者たちを下から皮肉っていた。一華がお題を振り、即興で、公季が唄を作った。
対象者は、校長、教頭、学年主任、担任、用務員、生徒会、クラスメートと多種様々で、吹奏楽部の幽霊部員だった一華と公季は、誰もいない教室でふざけ合っていた。
高校一年の終わりごろに、公季が、「となりのクラスの蔦文花が可愛い」と言い出した。
そこから、「蔦文花」を題材にした唄が、二人の中で流行った。
お題がなくなると、密かに、文花の周辺を嗅ぎ回った。近くに寄っては、何か言っていたとワードを拾い、今日は後ろで髪を縛っていたと、ちょっとの外見の変化を
用意した一つ二つのワードだけで、公季は唄を作った。あまりにも見事で、おかしかった。
高校二年の秋に、学園祭で個人表現の場があり、公季はギター一本で出場した。もしかしたら、文花を題材にした唄を、このときに歌ったのかもしれない。
一華は、他の学園祭の準備か何かで、舞台に上がった公季を見られなかった。で、確かこの辺りから、
年末近くになると、「蔦文花が好きになった」と告白してきた。一華は「がんばりな」と応援を口にした。
高校三年になると、公季は文花と同じクラスになった。
四月に公季は、何のきっかけだったのか、「今すぐにでも告白する」と言いだした。一華は「こういった大事は慎重に」と、情報収集後の行動を促した。
ほぼ毎日、昼休みの終わりごろに、校内の中庭で独り佇む文花の姿があった。その五分、十分のスポットを、一華は絶好の機会と踏んだ。
もし駄目であっても、周囲に噂が漏れにくく、傷口は最小限で止められる。公季には、よくよく言って、いくつか知恵を授けて指南した。
結果は惨敗でもなかった。惨敗のほうが、よっぽどマシに違いなかった。なかったことにされた、というよりも、無視された。携帯の画面ばかりを見て、話があるといっても無視された。
だいたい、シチュエーションを考えれば、今から何をしようとしているかは、分かるはずだった。明らかに無視をしていた。
木陰に隠れて状況を見守った一華は、自分も無視された想いがした。一華にとって公季は、学生生活の中の唯一の同士で、自分を投影でき、夢を託せた者だった。
だから、なによりも文花が許せなかった。高校三年の一年間は、校内で文花を目にしたら、「苦しんで死ね」と念じた。ちっとも兆候が出なかったから、神すらも呪った。
ずっと落ち込んでいた公季に、一華は声を掛けた。「私がいるでしょうが」と。慰めになったかどうかは分からない。慰めになったと思いたかった。
公季の高校最後の一年間は、きっと地獄だったと思う。同じクラスに、悪鬼の蔦文花がいたのだ。想像に難くなく、実際に公季は、身を小さくして目立たなくしていた。一華も、公季と一緒に小さくなった。同士として、身を丸めて息を殺した。
文花の件以降も、一華と公季の間柄は、基本的に変わらなかった。ただ、あれだけ楽しかった即興の唄作りは、ぱったりとやらなくなった。
思えば、公季の車の中で、高校最後の一年間を埋めていた。
一つのワードを提供したら、公季がいっぱいに膨らませた。ああでもこうでもないと、意見を乗っければ、また公季がよりいっそう膨らませる。
「やっぱり楽しいね、いっちゃんといると。ずっと一緒にいてくれないかな」
あまりにも自然で、聞き流しそうだった。
一華は、(今、何を言ったんだ?)と、瞬時に認識できなかった。
「ずっと一緒にいてくれないかな。結婚して欲しいんだ」
声のトーンは変わっていなかったが、はっきりと公季の口から、「結婚」の二文字を耳にする。
一華は、今まで意識しなかった単語に、衝撃を受けた。